四季折々の自然が美しい高湯温泉は、歌人に愛された地でもある。
温泉街には今なお、斎藤茂吉、加藤楸邨、埴谷雄高、庄野潤三などの軌跡が残されている。なかでも斎藤茂吉とのゆかりは深い。茂吉にとって吾妻は、蔵王と並ぶ故郷の山であった。
大正5(1916)年の夏、友人の門間春雄に案内され高湯温泉に逗留した茂吉は、高湯で幾つかの歌を残している。当時、滞在した温泉宿「吾妻屋」には茂吉の詠んだ吾妻の歌二首と扇が現存し、当時の交流を伝えてくれる。

高湯温泉の開湯は慶長12(1607)年。古くは霊峰、吾妻山への参詣に身を清めた霊泉であり、里人たちの湯治場であった。
戦後の高度経済成長期、時代が新しい豊かさを求めた時代、日本国中の湯街が賑やかな歓楽街を設けるなか、高湯は「一切の鳴り物を禁ず」という昔ながらの申し合わせを課し、古来の湯治場の佇まいを護り続けてきた。
「天来のものを、天来のままに」敬虔な山岳信仰に育まれた里人の気概が、今に至る情緒あふれる鄙の魅力となっている。

高湯温泉の歴史

奥州三高湯のひとつ。そのなかでも効能が高い高湯温泉に、はじめて医学のメスが入った。

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