口留番所 設けらる。

文化3年(1806年)お尋に付書上帳の中に 星土佐柵跡、星備中柵跡、星越後柵跡、 星若狭柵跡などの名称がみられる所から 河原田氏が上州方面の外敵に備えて居宅、武具、食料などを与え守備の責任を負わせたのが始まりのようだ。 寛永年間に番所機構が整備さ 街道には高さ約3b横約4bの木土門を造り、
左右には60本の柵を立て番所が置かれた。 八品留め物と言って、女・巣たか・蝋・駒・漆・熊皮・紙・鉛などの 領外への流出を防ぐことが目的だったが、幕末には留物の取締りより 治安を守る役目に変わり 明治維新以後は番所の建物も取り壊された。