尾瀬檜枝岐温泉・そばの宿・旅館・丸屋/桧枝岐村/尾瀬
尾瀬檜枝岐温泉 そばの宿 丸屋 〒967-0525福島県南会津郡檜枝岐村居平638(尾瀬檜枝岐温泉)
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村民生活

兼業について

凶作の年が続き、作物の収穫が出来なくなったり、又厳しい年貢、諸役を納める為にも、僅かな農業を補う為に兼業に頼ることになった。
 江戸時代には御用小羽板を駄馬で若松へ搬出する事により、これを米と換算した。しかしこれも値段の上下などにより、生活は不安定であった。
明治維新を界にこの用途はなくなり、これに代わって古来よりの曲げ物に移っていく。
明治39、40年の官民村野境界査定の結果、以前よりの山林の大部分が国有林に編入され、 結果民有林内に比較的多いブナの木を材料とする、へら、杓子の製造へと移行した。

小羽板
檜をうすく割り、屋根ふきに用いた。小羽屋根という。
曲げ物
檜・唐檜・松・杉などを割り、せんと言う道具で薄く削り熱湯をかけて柔らかにし、 ごろたを使い、丸く曲げる。その板の長さにより、二六、二八などと言う。 桜の木の皮で縫い止め、手桶、おぼけ、柄杓、けいぎ、てなご、めっつ等を作った。
へら・杓子
へら・杓子になるブナの木がある辺りに山人小屋(杓子小屋)を作り、5〜6人が集まって、 1週間から10日間位でへら・杓子作りに山に入った。
だいたい一山で4〜500本(かやで編んだこも1俵分、一冬で7俵位作った)作って下山、会津若松や栃木方面に馬車で出荷した。
季節ごとの山登り祝いには“小豆ばっとう”を作った。又、下山の時には 行きに持って行った味噌鉢に“ばんでい”を搗いて入れ、土産に持ち帰った。
鉢の中にそのまま入れてきた物を半分に切ってうす切りにして焼いて食べた。
その形は半円になり、山の安全と末広がりの縁起をかついだ扇形に見立てた。
ばんでいは木を細長く刳り貫いた“おくら”という臼でついた。 山で急ぎの時は“よきっかぶばんでい”といい、刳り貫いた切り株の中で 斧の峰(よき)を使いばんでいを搗いた。
狩り場
おそ(おとし)を作りてんなどの小動物を獲ったり、春は巻き狩りと言ってせこが追い込み、待ち目にいた人が鉄砲や槍で熊を獲った。
また昔冬の間はシカ、野うさぎ等を獲って職業にしていた。狩場の方法は伝承に依り、俗界の汚れを嫌い、狩場に入る前には、 みそぎをして身を清め、十二山神を信じ、へいそく(神に捧げる物)を作って祭りを行い、 山に入ってからは“なことば”と言う狩場言葉を使った。
山登り祭りといって、山神を祭ってけが除けや収穫を得る祈りを上げ、5〜7泊を 一山として狩場小屋へ向かった。 (二升山、五升山などと言った。)小屋を閉めて来る時は、とば祭りを行い小屋の留守中の安全と好猟を祈った。
又、獲物があった現場では、毛祭りと言って、頭の毛・左右の耳先の毛・左右の手先の毛・左右の足先の毛、計7ヶ所の毛を切って立ち木の岐等に上げて日光権現様に祈る。
そして熊の肉を食べ始める時の祭りはほど祭りと言って胸肉の所の骨を12に切って、火にくべる。次に腎臓を板の上に供え日光権現に上げる
。 その他にもいろいろな祭りやしきたりがあった。
魚とり
その昔は主として岩魚、鱒をとり、税金替りに収めていた。
寛永以降は漁民の唯一の現金収入として、会津から関東方面にも売っていた。
古文書にも『古来より漁業を営む、天保5年より嘉永年間まで運上(江戸時代の雑税の一つで、商、工、漁猟、運送などの営業者に課した。)として鱒5本を納める。』 とある。方法は釣り、投網、さし網、おき針、やす、ずう、むじりなどであった。
只見川上流の銀山平一帯は秋になると沢山のマスが上がって来た。会津と境界にある越後領民はこの豊漁なマスを得るため会津に税金を収めて、マス漁を行っていた。
寛永18年(1641年)マス漁に来ていた越後湯之谷村の村人が只見川岸辺の岩に光る石(銀)を見つけたことから、越後高田藩と境界争いになり、結果江戸奉行所にまで訴え出たが、越後方が勝ち銀山平は越後の領分になった。
出稼ぎ
屋根ふき、そま(きこり)、こびき、などの山仕事で栃木、群馬へ出稼ぎに行った。
しな縄
春と秋に科(しな)の木の皮をはぎ、表皮を取って干しておく。
テンギという道具を使って細く裂いて巻き取る。
しな縄打ちと言って主に女性の冬仕事として、細縄、太縄、背負い縄などを作り収入とした。
養 蚕
山桑や畑で栽培した刈り桑の葉で蚕を育て 生糸を紡いだ。
明治維新後は唯一の副業として奨励され、現金収入源として昭和10年頃まで殆どの家が養蚕業を営んでいたが戦争が激化、 食糧不足になり桑園はしだいに雑穀畑に切り替えられ、終戦からは養蚕業に従事する家はほとんどなくなった。
麻 布
麻畑(おばたけ)で麻を栽培して 糸縒り車で紡ぎ手織り機で反物をおった。主に袋を作り雑穀入れにしたり、豆腐を絞る時に使った。
皮を取った後の“おがら”は茅葺屋根の軒先や、冬垣などに使った。
羊 毛
戦時中衣料品が不足な時代は、メンヨウを飼育して毛糸を紡ぎ自家用衣料品に使った。
衣料品が出回るようになってからは、しだいに減少していった。
その他
楡の木の皮で縄を編んだり、 山葡萄や葛のつる等で籠を編んだ。
菅の葉やヒロロ(?)を刈って笠や蓑を作った。
しばでは“えじっこ”(山菜採りなどに使う籠)などを編む。
とうもろこしの皮も使った。

主食の自給は難しかったが、自然の恵み全てを工夫して使い 自給自足を心がけた。
畑で取れた大豆からは 味噌、豆腐なども作った。
豆腐の豆は石臼で挽き ニガリは塩叺(シオカマスと言って、藁むしろを二つ折りにして作った袋)から染み出たものをニガリとして使った。

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