高湯温泉「温泉神社と薬師堂」

高湯温泉の開湯は慶長12年(1607年)と言われており、その根拠は湯銭という年貢を支払った証文にある。つまり400年前には税金を支払うべき営業形態が高湯にあったという証である。

さてこの温泉神社はもともと源泉滝の湯の西側石垣の下にあった湯殿神社が起源である。慶長の開湯前からあったと伝えられ、つまり当時の共同浴場滝の湯の上手に見下ろす位置にあった。現在の場所に移動したのは磐梯吾妻スカイラインの道路工事と共に移転された。

湯殿神社が温泉神社となったのは、明治初期の廃仏毀釈から薬師如来を守るために、一時的に薬師堂を温泉神社として祀った。その後の大正7年に薬師如来の復興と共に、温泉神社は湯殿神社と合併した経緯がある。薬師如来の入佛開眼は比較的新しく文化年(1804年頃)に行われた。

そういった経緯を考えると湯殿神社(ゆでんさまと読む)は仏教の入ってくる前の山岳信仰と大いに関係があると考えられる。山岳信仰は自然崇拝のひとつで、山で生活する者が自然に対する畏敬の念を抱き、自然の厳しさや恵みに感謝しつつ恐れ敬う宗教観である。まさに山の温泉地には相応しい信仰であると言える。今は神社としての形態を保っているが、元来はシンボル的な石などであった可能性がある。周辺には吾妻山や湯殿山の石塔があり、関係は大いに考えられる。

高湯温泉は開湯当時から療養泉として温泉を利用してきた。そのため宿での遊行は厳しく制限され、三味線や太鼓などを禁止する「一切の鳴り物を禁ず」という地域内の取り決めもあった。そういった意味合いを考えると、病気平癒を願ずるだけではなく、その元である温泉を祀ってある事に大きな意味を持つ。温泉神社を詣でることは吾妻の山の神を敬い、その神秘な力をお裾分けしていただき心身を健康に導いてもらうという事である。つまり温泉神社(ゆでんさま)に相向かう行為は、吾妻山と向かい合っていることとなる。

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