高湯温泉の旅と渓流釣り

<高湯温泉と阿部武氏>
渓流釣りで東北の渓々を探っていくと先達の足跡に遭遇する事がある。沢に沿った山仕事の踏み道もそうであるが、紀行文などの著書としてそれに触れる事もある。
そういった釣案内や釣エッセイなどの著作は多くあるが、釣紀行作家としては阿部武は別格であろう。
早くに渓流釣りを紹介した作家であるが、その考え方や洞察力は現代の釣師にも深く訴えるものがある。「川の下にも川があり、川の横にも川がある」という彼の名言を何処かで聞いた方もいると思うが、未だに色褪せることの無い自然観察者としての言葉である。渓流をフィールドとして活躍している現役の山岳関係者からも、彼をいまだに心の師として仰ぐ者は少なくない。

阿部武氏は新聞記者の出身で、文には長けた方であった。それが渓流釣りにのめり込み、東北の温泉をベースに各地の渓流を釣り歩いた。彼の著作の写真も自分で撮るのであるが、モデルとなった女性の表情などを見るとその土地に溶け込み、長逗留しながら取材を試みたであろう事を読み取る事ができる。
いったん出版を決めると彼の編集力は素晴らしく、現代に在世しておれば、間違いなく紀行作家として大成していたであろう。

山形田麦俣での滞在は良く知られた事ではあるが、晩年は高湯温泉に滞在した。当時の様子は旅館高原荘の主人(75歳)に聞く事ができる。
温泉街の飲み屋に居候していて、昼間からどてらを羽織り酒を飲んでおり、牛乳瓶の底のような厚眼鏡をかけ、無精髭の伸びた様でギロリと睨まれると、昼間から幽鬼に出会ったようだったという。酒好きらしく、視力は戦時中のメチルアルコールでやられたらしい。
高原荘の主人は、阿部氏に岩魚釣りを手ほどきされて釣りを覚え、単独で入渓するようになった。ある日、大釣りした報告を阿部氏にすると、俺の釣り場を荒らしたと怒られたそうだ。そのような言動を聞くと、作家としての知識人の様子はうかがえない。ただの釣りキチの酔っ払い親父だ。

<仕掛けとその釣り方>
高原荘の主人の釣仕掛けは、直弟子の私と同様に長竿の短仕掛けであり、6.2メートル竿に1ヒロの提灯仕掛けである。私は古職漁師支度にのっとり2.5号の通しに10号袖バリという太仕掛けである。
渓流は足場が悪いので、魚の取り込みには竿をたたみながら寄せ、一気に抜き上げる。タモは行動の邪魔になるので携行せず、足で釣果を稼ぐ。これらは阿部氏と同じ釣りスタイルである。

<天戸川の大岩魚>
さて今回の天戸岩魚であるが、小雨模様の平成18年5月11日という連休後の釣り荒れた日であった。雪代が入り増水して条件は良かったが、普段は魚の出ないポイントから釣れた。私は釣り歴20年で尺岩魚の釣り経験は多くあるが、このサイズ尺三寸(39センチ)は自己記録である。記録が地元渓流の天戸川で更新できて大変に嬉しく思っている。ダム湖のない天戸川の渓流規模からすると、これぐらいのサイズが限度ではないかと思われる。

<温泉と釣りと吾妻の自然と>
阿部武著の「東北の渓流」に飯豊朝日、奥会津、八甲田、八幡平など東北の渓々の釣り場紹介が書かれているが、すべて温泉地ベースとなる釣り場だ。高湯温泉周辺も詳しく書かれており、のんびりした釣りスタイルは実に羨ましいかぎりである。とくに「温泉の旅」では、温泉医学や吾妻の動物や山旅のエッセイ、観光土産、飯坂温泉での玉代まで書かれており、釣り教本とは違った趣のある岩魚釣案内書となっている。
先達の路を辿り、同じ沢で竿を出し、師が入浴したであろう温泉に浸かる。
自然の恵みである温泉に浸かりながら五十年前に刊行された文を読んでいると、当時と同様の吾妻の自然がこれからも続く事を、つくづく願わずにはいられない。

【写真上】阿部武著・温泉の旅〜岩魚釣案内(昭和29年発行)
     阿部武著・温泉とつり〜東北の渓流(昭和42年初版)
【写真下】天戸岩魚尺三寸・雄・平成18年5月11日・釣師永山博昭

◆アクセス/東北道福島西IC〜R115経由高湯温泉〜天戸川釣り場〜30分

◆温泉情報/ 高湯温泉情報
     /近くの掛け流し共同浴場

ページの先頭へ